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政策コラム

このページはトップページの中の月刊広報誌 熊本羅針の中の政策コラムのページです。

東アジア共同体  2010年2月号

 『宮廷女官チャングムの誓い』を欠かさず見ました。チャングム役のイ・ヨンエ、正面を真っ直ぐ見据え健気に生きる姿に「キュ-ポラのある街」での小百合チャンも思い出し胸が熱くなりました。1世紀後チャングムらの努力はホジュンの「東医宝鑑」と成り朝鮮通信使によってもたらされ、わが国医学の進歩に貢献することになります。

 熊本は古代より朝鮮半島との関係が深く、江田船山古墳のスパイクシューズなど多くの副葬品が百済武寧王のそれと一致することから武寧王は「日本で、それも熊本で生まれた」とか「そもそも大和朝廷は百済との複合国家だった」など興味深い話がたえません。菊池川を遡ると朝鮮式山城に八角鼓楼のある鞠智城もあります。携帯用の百済仏も見つかり多くの朝鮮渡来人が生活していたことがうかがわれ、地域に勇気を与えてくれます。

 しかし見たくない、聴きたくない事も有ります。文禄、慶長の役、加藤清正の有力家臣本山安政は「男女赤子迄も残らず撫で斬りに致し鼻をそぎ其の日々に塩に致し」と朝鮮での残虐行為を書き残していますし、臼杵の従軍医僧慶念も奴隷としてポルトガルに売り飛ばされるさまを「縄で首くくり集め杖で打って追い立て地獄の有様」と書き、捕虜として連れ帰った人々を熊本城築城に当たらせるなど韓国で清正は悪名たかい武将なのです。

 今日韓国から多くの来熊者が有る中、清正への一面的美化には疑問を持ちますし、なによりも韓国の人達の気持ちを知らなくてはなりません。また明治期、王宮に乱入、明成皇后の首を切り落とし胴体は裏山でガソリンをかけて焼くという蛮行を熊本の浪士達が行ないます。この事件は今でも韓国の人達の心に大きな傷として残っているのです。

 今年は日韓併合100年です。「統治権を完全且つ永久に日本に譲与す」植民地化です。その5年前外交権を剥奪する条約を結ぶ時、調印の場に軍隊を入れ嫌がる韓国の大臣達をねじ伏せ深夜1時半の調印となります。韓国国民は怒ります。押捺した大臣宅は焼き討ちされ、「五賊」と罵られ、政府高官から車夫まで憤死者が相次ぎます。国王は世界にこの不当を訴える使者を派遣し、伊藤博文は安重根に暗殺され、義兵闘争が韓国全土から満州まで日本の敗戦時までつづき、其の犠牲者は12万人にも及びます。この人達は英雄として記念碑、記念館が作られ尊敬を集めています。

 「一番近くて一番遠い国」のままで在ってよいはずがありません、両国に刺さった大きな棘と深い溝を取り除く努力を歴史に真摯に向き合いながら成し遂げなければなりませんし、ドイツはこれを成したからこそ、EUも成立できたと思います。「東アジア共同体」人も物も技術や情報そして企業も自由に行き来できる平和な地域、そんな時代を早く実現させ後世に引き継ぎたいものです。

(有)コモン
代表取締役 佐野 正達
(政策委員会副幹事長)


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